卒業するみなさんへ
3月1日は公立高校の卒業式。
卒業されるみなさん、おめでとうございます。
ただ・・・
「勘違いするんじゃない。」
「卒業式とは、卒業生を祝う日じゃない」
「卒業まで自分にお金と時間と労力をかけてくれた人たちに感謝する日だ」
「だから、自分の名前を呼ばれたら、保護者に聞こえるようにちゃんと返事すること!」
卒業式の前日に私がいつも話していることだった。
昨年、学校を退職する年に高校3年生の担任だったときにも、当然話した。
コロナの影響があるため、卒業式に在校生を参加させるべきかを職員間で話し合いがされたこともあった。結果、卒業生と保護者、そして職員のみでの卒業式を行うことになった。
その話し合いでのこと・・・
職員をいくつかのグループに分けて、グループごとに話し合った。
「やっぱり、3年生の担任の先生の意見を尊重しないとね・・・山田先生どう思う?」
まっさきに私に意見を求められたので、ここぞとばかりに
「昨年もコロナの影響があって、卒業生と保護者のみの卒業式だったのですが・・・
すごくよかったですっ!!
だって、在校生の指導に時間を割かなくてもいいし、保護者も職員も卒業生を一人ずつしっかり見れたじゃないですか!!
今年も絶対に在校生なしの卒業式がいいですっ!!」
と言った。
そうすると・・・
私以外の先生方の反応が・・・ない。
要するに、6人のグループのうち、私1人をのぞいた全員が「在校生を卒業式に参加させたい派」だった。
理由は「卒業生の立派な姿を在校生に見せたい」とのこと。
私はずっと思っていたのだが・・・
立派な姿というのは、卒業式用に指導された姿ではなく、
普段の学校生活で見せておくべきものなんじゃないの?
そして、後輩は卒業式の姿を見なくても、立派かどうかは判断できているはず。
結局、私たちのグループの意見は「在校生も参加させよう」ということになった。
3年担任の意見を尊重しようって言ってなかったっけ?
まぁいい。結局私の思った通りの卒業式になったから。
話を戻すと、保護者は自分のこどもの顔を見たいし、
返事をする声を聞きたいはず。
家に帰ると、面と向かって「ありがとう」なんて言える年齢でもないようだし、
卒業式で、ゆっくり生徒たちを見てほしいなぁと私個人は思っていた。
しっかり顔をあげて、
呼名にちゃんと返事をする声が聞こえることが、
保護者への感謝を表すことだと。
退職したので、今年は卒業式には参加しない。
行事や式典が苦手な私にとってはとても気楽な日になった。
ただ、2年間授業を担当していた生徒たちが今年卒業する。
たまに私のブログを読んでくれている生徒もいるようなので・・・
その生徒たちへのメッセージ
「みなさんとの授業は本当に楽しかったです。
授業というよりは、一緒に問題に取り組んでいたという方があってるかな。
退職したあとも、担任のM先生から皆さんの様子も聞いたし、
皆さんのためにM先生がたくさん悩んで苦労されたことも知っています。
3年間担任してくれたM先生には本当に感謝ですね。
情報科らしく、自由な人生を歩んでください。
失敗上等です。応援しています。」
私も退職して、3月1日は自由の身になったんで・・・
映画でも見に行こうかなぁ。